緑茶のこと、日々の暮らしの中で思うこと こちらがホームページです↓ ぜひご覧下さい。www.yuzuriha.net
by cha-yuzuriha
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
仙台に行ってきました。
夏休み、家族で私の実家がある仙台に帰省していました。震災の後、仙台に帰るのははじめて。家族も友人も無事は確認しているものの、地震後のみんなの苦労を思うと直接会って少しでもねぎらいたいという気持だった。
私の友人の中で一番被害の大きかったのは石巻の人。彼女とは電話で話した。市内中心部に住んでいたので、じわっ浸水して家の一階部分1メートル程水につかり、なんとか泥をかきだしてようやく住めるようになったが、海水に浸かったため、お風呂などが塩にやられあとから具合が悪くなってきたりしていると言っていた。彼女の実家のお寺には冷蔵庫や軽自動車、船などが流れ着いたと話してくれた。会いにいきたかったが高齢の御母さんのお世話や、お盆の親戚まわりなどとても忙しそうだったので遠慮した。
子どもの頃にかわいがってもらっていた近所のおばさんにも会ってきた。おばさんは80歳、おじさんは86歳、おじさんは認知症で施設に入っていた。おばさんは元気そうだったけれど、どこか寂しげで、しばらく話すうちに、実は息子さんが5月に亡くなったと話してくれた。私が小学生の頃、大学生だったお兄さん。仙台でライブハウスを経営して6年目だったが、地震の後しばらくお店を休み、親しかったお友達が病気で亡くなってそのお葬式から帰ってきて、「つかれた」と言い残して、自ら命を終わらせてしまった。地震と直接関係はないが、お店を休んだことで、経営も苦しくなっただろうし、気持も沈んだのだろう。無関係とは言えない。ぎりぎりのところで生活していた人には、あの大きな地震は大変なことだっただろうと想像できる。
おばさんは淡々と語っていたけれど、つらかっただろうと思った。
被災地を観光のように見ることははばかられたけれど、やはり見てちゃんと感じておきたいと思い、若林区の沿岸部に車を走らせてもらった。海の近くの田んぼはただのはらっぱのようになり、田んぼの持ち主はどうしているのだろうと思った。片付けも進んでいる様子だったが、まだ田んぼに家の二階部分がぽつんと残っていたり、どこからきたの?というような電車の車両が残っていたり、一階部分がづたづたになったお家もたくさんあった。
津波、放射能、家屋の倒壊、いろんな被害があって、亡くなった人もたくさんいて本当に大変なことなんだと、東京にいる時からわかっているつもりでいたが、仙台に帰って見聞きしたものは、想像以上だった。
東京にもどって、また普通の生活がはじまった。なに不自由なく暮らすことができる。でも被災地への想いは、いつも心の中にある。忘れないで日々過ごしたいと思う。
今回、素敵な復興支援のプロジェクトをはじめた方のお会いできた。
母の知りあいの木工家の工藤さんという方で、女川のサンマ漁師さんたちが漁に出られないので、その間の現金収入を得るため、漁師さんたちに木工を指導して、「onagawa fish」という素敵なキーホルダーを漁師さんたちと製作して販売されている。
いろんな支援があるけれど、ずっと使いたいと思えるものを作って販売して被災した人たちが収入を得る、いいと思う。漁師さんたちも楽しんで作業されていると聞くとなんだかうれしい気持になった。
10本わけてもらったので、今度の朝市で販売します。1個1200円(税込)
メイプル(かえで)、ブラックウォルナット(くるみ)の二種類です。
よろしくお願いします。
私の友人の中で一番被害の大きかったのは石巻の人。彼女とは電話で話した。市内中心部に住んでいたので、じわっ浸水して家の一階部分1メートル程水につかり、なんとか泥をかきだしてようやく住めるようになったが、海水に浸かったため、お風呂などが塩にやられあとから具合が悪くなってきたりしていると言っていた。彼女の実家のお寺には冷蔵庫や軽自動車、船などが流れ着いたと話してくれた。会いにいきたかったが高齢の御母さんのお世話や、お盆の親戚まわりなどとても忙しそうだったので遠慮した。
子どもの頃にかわいがってもらっていた近所のおばさんにも会ってきた。おばさんは80歳、おじさんは86歳、おじさんは認知症で施設に入っていた。おばさんは元気そうだったけれど、どこか寂しげで、しばらく話すうちに、実は息子さんが5月に亡くなったと話してくれた。私が小学生の頃、大学生だったお兄さん。仙台でライブハウスを経営して6年目だったが、地震の後しばらくお店を休み、親しかったお友達が病気で亡くなってそのお葬式から帰ってきて、「つかれた」と言い残して、自ら命を終わらせてしまった。地震と直接関係はないが、お店を休んだことで、経営も苦しくなっただろうし、気持も沈んだのだろう。無関係とは言えない。ぎりぎりのところで生活していた人には、あの大きな地震は大変なことだっただろうと想像できる。
おばさんは淡々と語っていたけれど、つらかっただろうと思った。
被災地を観光のように見ることははばかられたけれど、やはり見てちゃんと感じておきたいと思い、若林区の沿岸部に車を走らせてもらった。海の近くの田んぼはただのはらっぱのようになり、田んぼの持ち主はどうしているのだろうと思った。片付けも進んでいる様子だったが、まだ田んぼに家の二階部分がぽつんと残っていたり、どこからきたの?というような電車の車両が残っていたり、一階部分がづたづたになったお家もたくさんあった。
津波、放射能、家屋の倒壊、いろんな被害があって、亡くなった人もたくさんいて本当に大変なことなんだと、東京にいる時からわかっているつもりでいたが、仙台に帰って見聞きしたものは、想像以上だった。
東京にもどって、また普通の生活がはじまった。なに不自由なく暮らすことができる。でも被災地への想いは、いつも心の中にある。忘れないで日々過ごしたいと思う。
今回、素敵な復興支援のプロジェクトをはじめた方のお会いできた。
母の知りあいの木工家の工藤さんという方で、女川のサンマ漁師さんたちが漁に出られないので、その間の現金収入を得るため、漁師さんたちに木工を指導して、「onagawa fish」という素敵なキーホルダーを漁師さんたちと製作して販売されている。
いろんな支援があるけれど、ずっと使いたいと思えるものを作って販売して被災した人たちが収入を得る、いいと思う。漁師さんたちも楽しんで作業されていると聞くとなんだかうれしい気持になった。
10本わけてもらったので、今度の朝市で販売します。1個1200円(税込)
メイプル(かえで)、ブラックウォルナット(くるみ)の二種類です。
よろしくお願いします。
by cha-yuzuriha
| 2011-08-26 18:03
| 暮らしの中から
カテゴリ
フォロー中のブログ
メモ帳
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧