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by cha-yuzuriha
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「仲みどり」を探す旅
子どもの時に母に「はだしのゲン」や「二人のイーダ」の映画を見に連れて行かれたりして、原爆というものを知り、とても大きなショックを受けたことを覚えている。その後も広島の平和記念公園に行ったり、原爆関連の本も読んでいたし、原爆の恐ろしさはよくよくわかっているつもりだった。そして近年は「もう恐ろしさは充分わかってる」と思って、その関連のものから自分を遠ざけていた。映像や本から衝撃を受けるのがイヤで逃げていたのだ。
しかしこの夏休み『「仲みどり」をさがす旅』(青木笙子著・河出書房出版社)という原爆被爆者について書かれた本を読んだ。この仲みどりという人に対する興味から手にとったのだ。
仲みどりという女性は、1909(明治42)年東京日本橋生まれ、女優となって舞台で活躍するが、戦争によって、演劇活動を自由にすることはできなかった。俳優丸山定夫らと移動劇団「桜隊」に参加し、軍隊や労働者の慰問活動のために広島に滞在中、昭和20年8月6日を迎えてしまう。奇跡的に一命をとりとめた仲みどりは、母が待つ東京に帰る決意をする。見た目には火傷もなかったみどりは、裸に天幕の布一枚を羽織った姿で、復旧後の一番列車に乗り込み、東京へ帰りついたのだ。杉並にいた母に再会を果たすが、次第に体調は悪化、終戦の翌日に東大病院へ入院する。東大では、みどりが命からがら東京に舞い戻ったことによって「原爆症」の患者を初めて見ることなり、医学的に世界初の「原爆症患者」と認定されたのである。しかしそれから1週間、なすすべもなく仲みどりは苦しみながら亡くなった。
これまで井上ひさしの戯曲や、新藤兼人監督の映画「さくら隊散る」などに登場し、知られていたが、仲みどりに焦点をあてた本はこれが初めてだろう。
著者の青木笙子さんは、みどりの遺族や劇団仲間からの聞き取りや、実際に広島の街でみどりが救護所から駅まで歩いた道のりを探したりして、みどりの苦難の道のりを浮き彫りにした。
青木さんのお父さんが演劇人で、みどりとも面識があったということで、亡くなる前のみどりの演劇生活がいきいき描かれ、戦争によって芝居ができなくなる苦悩がひしひしと伝わってくる。そして原爆。どうしてこんな時に広島にいたのか。広島に住んでいた人達の不幸とはまた違う「偶然」が引き起こす不幸、どちらも比べものにならないが、必死に列車に乗り東京に帰ろうとしたみどりの気迫が60年以上たった今でも、活字を通して伝わってくる気がする。
最近、原爆を「しょうがない」と発言した大臣がいたが、その発言を聞いた時に、「なんてことをいうんだろう」と思いつつ、怒りは湧かなかった私。でもこの本を読んでいる最中に、ふとそのことを思い出したら腹が立ってきた。原爆が作った地獄を見たくなくて、避け続けていた結果、私はその恐ろしさを忘れていたのだ。やはり戦争も原爆も私にとって実体験ではないから、「知っている」だけでは怖さは薄れていく。見たくないと思っても、時々復習しなければならないと痛感した。
しかしこの夏休み『「仲みどり」をさがす旅』(青木笙子著・河出書房出版社)という原爆被爆者について書かれた本を読んだ。この仲みどりという人に対する興味から手にとったのだ。
仲みどりという女性は、1909(明治42)年東京日本橋生まれ、女優となって舞台で活躍するが、戦争によって、演劇活動を自由にすることはできなかった。俳優丸山定夫らと移動劇団「桜隊」に参加し、軍隊や労働者の慰問活動のために広島に滞在中、昭和20年8月6日を迎えてしまう。奇跡的に一命をとりとめた仲みどりは、母が待つ東京に帰る決意をする。見た目には火傷もなかったみどりは、裸に天幕の布一枚を羽織った姿で、復旧後の一番列車に乗り込み、東京へ帰りついたのだ。杉並にいた母に再会を果たすが、次第に体調は悪化、終戦の翌日に東大病院へ入院する。東大では、みどりが命からがら東京に舞い戻ったことによって「原爆症」の患者を初めて見ることなり、医学的に世界初の「原爆症患者」と認定されたのである。しかしそれから1週間、なすすべもなく仲みどりは苦しみながら亡くなった。
これまで井上ひさしの戯曲や、新藤兼人監督の映画「さくら隊散る」などに登場し、知られていたが、仲みどりに焦点をあてた本はこれが初めてだろう。
著者の青木笙子さんは、みどりの遺族や劇団仲間からの聞き取りや、実際に広島の街でみどりが救護所から駅まで歩いた道のりを探したりして、みどりの苦難の道のりを浮き彫りにした。
青木さんのお父さんが演劇人で、みどりとも面識があったということで、亡くなる前のみどりの演劇生活がいきいき描かれ、戦争によって芝居ができなくなる苦悩がひしひしと伝わってくる。そして原爆。どうしてこんな時に広島にいたのか。広島に住んでいた人達の不幸とはまた違う「偶然」が引き起こす不幸、どちらも比べものにならないが、必死に列車に乗り東京に帰ろうとしたみどりの気迫が60年以上たった今でも、活字を通して伝わってくる気がする。
最近、原爆を「しょうがない」と発言した大臣がいたが、その発言を聞いた時に、「なんてことをいうんだろう」と思いつつ、怒りは湧かなかった私。でもこの本を読んでいる最中に、ふとそのことを思い出したら腹が立ってきた。原爆が作った地獄を見たくなくて、避け続けていた結果、私はその恐ろしさを忘れていたのだ。やはり戦争も原爆も私にとって実体験ではないから、「知っている」だけでは怖さは薄れていく。見たくないと思っても、時々復習しなければならないと痛感した。
by cha-yuzuriha
| 2007-08-24 16:53
| 思うこと
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